武蔵一宮 氷川神社は、67.8haの広さを誇る大宮公園に隣接しており、スポーツ・レクリエーションを同時に楽しむことができます。

大宮公園を散歩した後、三の鳥居を抜けると、左手に、戦艦武蔵の碑が建立されていました。
埼玉に海はないのですが、なんでも、戦艦武蔵の艦内神社である武蔵神社は、氷川神社が分祀されたものだからの様です。

神池にかかる橋を渡ると,

目の前に楼門がみえます。

楼門を抜けると、広いスペースがあり、目の前に舞殿が現れます。

舞殿の奥には、拝殿、その奥に本殿があります。
拝殿で、お祈りが済んだ後に、右手にある神札所で、御朱印を頂きました。


また、13もの境内神社があります。(写真は稲荷神社)



戦艦武蔵の碑文は以下の通り。

  戦艦武蔵
 戦艦武蔵は世界最高技術を駆使し、大日本帝国
海軍が建造した最後の戦艦である。
 パナマ運河幅の制限から、四十cm(十六インチ)
を超える主砲を持つ戦艦を建造できない米海軍
の弱点に注目し、主砲四十六cm砲三連装砲塔三基
を搭載した世界最強かつ最大の戦艦として建造
された。武蔵誕生に到るまでには多くの技術的
困難があり、関係者の苦労は並大抵のものでは
なかった。また、海軍の指示により、建造造船所
である三菱重工業は、所員に対する緘口令等、
建造秘匿の徹底を図った。
 昭和十七年八五日に広島県呉で行われた
竣工式には、氷川神社より六名の神職が出向し、
式が厳しく執り行われた。艦内神社には、氷川
神社が分祀され武蔵神社と命名された。
 昭和十九年十月十七日「捷一号」作戦発令
により、日米両海軍の主力が艦隊決戦を行わん
とフィリピンレイテ沖を目指した。武蔵は米海軍
の航空攻撃を一手に引き受け、十月二十四日
シブヤン海に没した。同作戦により戦艦武蔵の
乗員千三十九名戦死、生存千三百二十九名も
マニラ防衛戦等に投入され、最終的に祖国の土
を踏めた者は四百三十余名と言われている。
ここに戦艦武蔵を顕彰し、碑建立に協賛、賛同
するものである。
平成二十七年十月二十四日建立
        戦艦武蔵顕彰会

また、近くには、こじんまりとした護国神社がある。